セルビアの野望

第0章 国家状況

ミロシュ・オブレノヴィッチ率いる第二次セルビア蜂起の結果、1459年にオスマン帝国に滅ぼされたセルビア公国が、再びこの地に復活したのは1817年のことである。その後、1830年には自治を勝ち取る。独立時の当主、オブレノヴィッチ家による世襲も認められた。しかしながら、中央集権化を目指すミロシュと、従来からの村落自治による分権的体制を維持したい村落のリーダーとの対立が激しく、国内政治は混乱を極めていた…

内外には宗教は違えど、同じ言葉を話し、同じ南スラブ文化を持つ住民が大勢いる。オスマン帝国・オーストリアにまたがる彼らをまとめ上げ、「南スラブの融合」を目指していかなければ…

国家の範囲である。現在セルビアは北セルビアステートのみを有するが、縦に長い領域(南北セルビア、ヴォイヴォティナ、マケドニア)とボスニアにも中核州を有する。

民族分布。セルビア人は赤で囲まれたエリアに住む。キリスト教徒のクロアチア人はその西に分布する。また、イスラム教徒のボシュニャク人(ボスニア人)はその間に住むが、かなりモザイク的に分布している。
将来的には、同じ南スラブのスロヴェニア人や、ブルガリア人、アルバニア人も範囲に巻き込むことができるか。

国の生産物は、穀物と石炭の二種類。

第一章 セルビア改革

まずセルビアは国民党(Nationalist)に政治運営を任せることにした。そして「国からの工業化」としてまず国の産物である石炭からセメントを作る工場を建設した。

そしてまずは教育効率を上げる「Malthusian Thought(マルサス思想)」の研究を開始した。今後の人口爆発に耐えられるよう科学と技術の進歩を図ることが重要であるのは明白なのだ。国力を高めなければこの弱肉強食の時代、三度トルコの軛に苦しむことになることも。

そんなこんなで5月3日、最初のセメント工場が開業した。しかしながら部品の入荷が遅く、まだ思うように運営ができていない。いずれは内製化もしたいところだが、それは気が遠くなりそうな話である。そもそも資源自体ないし。

1838年7月11日(スクショは13日)、マルサス主義の研究が完了。次は自由貿易(Freedom of Trade)の研究へ。無印ほどの効果はないものの、それでもRGO+10%は大きいし、教育効率にも好影響を与える。

その後、Borで輪作(Crop Rotation)が開始されたり、Bakeryの工場ができたり、先進国化政策は進められている。

自由貿易、基礎科学(Basic Chemistry)、観念論(Idealism)、機械採掘(Mechanical Mining)の研究を進める。

1844年4月、米大陸コロンビア州で英米で衝突の危機(Crisis)に。一つの危機が発生するとそれ以外の危機は一回ゼロになる。
イギリス側にオランダ・ベルギー・プロイセンが、アメリカ側にフランスがつく。結果的にはイギリスが譲ることで決定した。

この間にちゃっかりロシアと同盟を結んでおく。

1846年2月、市民が狂って研究効率が悪化。研究は実証主義(Positivism)に移行。その後フランスが海王星を発見したりいろいろ起こる。

1848年1月、ハンガリーが独立。これを機にヴォイヴォティナを奪還するぞ!

しかしハンガリーは翌1849年1月に降伏。ヴォイヴォティナ奪還運動は露と消えたのであった。各自撤収!

その一方で、英蘭白vs露仏で第一次世界大戦が発生しているではないか。見ると、ポーランド独立を目指した運動が過熱したそうな。

第二章 雌伏時代