第三章 甦るスラブ

1864年5月、オスマン帝国でジャコバン派による革命が成功。
一気に民主化されることとなる。
しかしこれは、まだ序章に過ぎなかった。
セルビア人の反乱は大規模になっている。

とはいったが、あれだけの蜂起だったのに一瞬で消失した。

1866年9月。前回話したDecisionをしたりする中でロシア・オーストリア戦争が勃発。しばらく観戦し続けた上で、いよいよ好機と見て攻め込んだが、今一つロシアが押され気味。

しかし緒戦ではまあまあ勝利を収める。
奇跡は起きるものじゃない、起こすものだ。

まあ緒戦では苦戦し、首都を一時は占領されたが、

なんとヴォイヴォティナの奪還に成功した。
両国ともに厭戦状態だったし、もう好きにしろ!状態だったのかね。
オーストリア側からの要求はCut down(Badenが要求)のままだったし。ほんとに奇跡って起こすものだったんですね。

さて復帰したヴォイヴォティナであったが、セルビア人は3割で、ほぼ同数の南ドイツ人とその他少数民族が住む。
南ドイツ人の識字率は52%と高水準だが、セルビア人他の識字率は12%と低い。
しかし、南ドイツ人は事務員になれるだけの識字力を持っている。セルビアも教育改革で25%までは持ってきたものの、そこまで達するのは速くて1890年代になると予想されていたからだ。
とりあえずヴォイヴォティナは官僚→聖職者育成、北セルビアは復興のための兵力募集にする。

1868年7月、ロシア・オーストリア戦争が終結。カットダウンの他、ガリシア・ロードマリアの割譲も要求された模様。

第4章 セルビア人の統一に向けて