さて、初期段階では人口の9割近くが自給農家だ。
飢饉でもなければ生きては行けるレベルだが、それ以上は望めない。
産業の効率化を推し進め、より豊かになっていかなければならない。
少し進んで1836年2月。清では英国にアヘンを売りつけられ緊張が高まっている。
日本も一刻も早く欧州列強に肩を並べる強国にならなければ、欧州列強に言いようにされてしまう。
なので日本に関心を持つ欧州列強と関係を改善していく。
1836年6月。検討が始まった植民地再定住法案は日本全土に知られ、既に熱狂が始まっていた。
植民地を広げ、世界でも随一の国にしていきたい。真ん中を選ぶことにした。
同年9月には、著名な劇作家が植民地拡大をテーマにした劇を発表し、海外にも広まるほどの人気となった。
1837年7月にはついに植民地再定住が制定される。またこのころには、各地に建設局が立ち並び、今後の大建設時代を支えることとなった。
さていつもならこの後職業軍人へ向かうのだが、今回は土地所有者投票を取ることにしてみる。
1837年7月28日、東北にて初の工具工房が竣工。同時に福島にて鉄鉱山が完成。
その後1839年までに各地で20の伐採所、東北・関東に工具工房と鉄鉱山、関東に鉛鉱山が建設された。
1839年8月29日、土地所有者投票が可決。貴族の他、資本家・聖職者・士官が投票できるようになった。
1839年9月より最初の選挙が実施。佐幕派・侍による帝政党と、知識人・平民による農業党が結成された。
選挙結果は帝政党が64%を取り勝利。
1840年10月31日には職業軍人が可決。
このころまでに旋盤までの研究が終わっている。
続いて支持率が半分を越えていた救貧法を制定する。
1841年9月に可決。
1842年6月には捕鯨ジャーナルを完了させる。意味が薄い?でもキラキラじゃないか!
1843年、第二回選挙が行われる。新たに実業家が農業党陣営に入る。
1844年11月、入植ムーブメントが発生。
入植を実施したものの、大反乱が発生。そのまま戊辰戦争に突入した。
1845年、倒幕が完了、仁孝天皇が復権した。